織田信長公祈願「三面大黒尊天」(大) [ISM-T00132]
織田信長公祈願「三面大黒尊天」(大)
[ISM-T00132]
今ならさらに10% OFF!: 110,000円(税込)
商品詳細
※※コチラの商品はただ今欠品しております。次回入荷は2021年12月下旬以降となります。※※
織田信長公も祈願した!聖徳太子御作と伝わる「三面大黒尊天」は3つの御利益預かる守護仏。いまその分身像が皆様の心の助けに参りました!
織田信長公が祈願した在りし日の御姿を復元!
推古天皇の勅願により、聖徳太子によって建立された塔世山四天王寺(三重県津市)には、織田信長公が祈願したと伝わる『三面大黒尊天』が所蔵されています。
寺に遺る明治時代の版木には「聖徳太子御作」と記される由緒ある像です。
本作品は四天王寺の認証を得て実像の3Dスキャンを実施し、作成された精密データを元に忠実に再現された木彫像です。
さらに所蔵寺院にて一体一体ありがたい開眼供養を賜り、その証となる開眼供養証明書と2枚の御札(姿札、御朱印)が付属します。
聖徳太子と織田信長、歴史的英傑所縁の歴史ロマン溢れる逸品。コロナ禍を強く生き抜く誓いの守護本尊として是非お祀りください。
正に威風堂々、、、
信長公の誓いに思いを馳せる迫力の大サイズとなります。(高さ23.5×幅14×奥行15cm)
※この度のこちらの仏像は全て、聖徳太子の命日11月22日に聖徳太子建立の三重県 四天王寺にて開眼供養の御祈祷を致したものとなります。
四天王寺本堂に祀られる『三面大黒尊天』の現在の御姿は、経年変化によって表面の彩色がほぼ剥落し、木肌が露出した状態です。
それでもなお、見る者の心を打つ威厳は微塵も揺らいでいません。
本作品の制作にあたり、現在の御姿をそのまま再現する案と、織田信長公が祈願したであろう往時の姿を再現するという案がありましたが、度重なる協議により在りし日の御姿を再現することになりました。
そこで、仏像彩色師が四天王寺に伝わる古い時代の御札に描かれた『三面大黒尊天』のお姿を参考に検証を重ね、威厳に満ちた往年の姿を彩色で再現いたしました。
三面大黒尊天は、強力な天部が三位一体となった合体神!
三面大黒尊天は護国豊穣の福の神=大黒天、必勝と財運の福の神=毘沙門天、福徳財宝の福の神=弁財天という単独でも強力な天部が三位一体となった、一仏礼拝によって三尊天の御利益を得るという最強の福の神です。
【福徳財宝と技芸の福の神《弁財天》】
弁財天は古代インドでサラスヴァティーと呼ばれた川を神格化した女神が、仏教伝来時に『金光明経』を通じて中国から伝わり、やがて七福神の一柱となった福の神です。水が流れるせせらぎの音から音楽の神となり、そこから広く技芸・文芸などの才能をもたらす神となりました。現在では「才」が「財」へと変わり福徳財宝を授ける福の神としても篤く信仰されています。財運の象徴とされる白蛇は弁財天の使者とされます
【五穀豊穣の福の神《大黒天》】
大黒天はインドではマハーカーラ(大いなる暗黒の意)という戦闘神でしたが、財宝をもたらす力が強大なことから次第に各地の豪商たちの信奉の対象となり、金運の神となりました。日本に伝わった際、音が「だいこく」と通じるところから五穀豊穣の神様である大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき穏やかな容貌の福の神となりました。大きな俵に乗って手に持つ姿ら五穀豊穣の神としても信仰されています。
【必勝と財運の福の神《毘沙門天》】
毘沙門天は別名 多聞天と呼ばれ、四天王の一尊として北方を守る守護神です。邪鬼を踏みつけた勇ましい姿から勝運、必勝祈願、財運の神とされ、また子宝にもご利益があることから聖徳太子、坂上田村麻呂、楠木正成などが篤く信仰しました。毘沙門天といえば上杉謙信が有名ですが、実は武田信玄もまた金色の毘沙門天像を兜の中に入れて出陣していました。このように戦国の名将も毘沙門天信仰によって多くの戦いで勝利を収めたのです。
■いまなお、絶大な人気を誇る織田信長公!
戦国時代を象徴する偉大な武将が織田信長公です。
政治、経済、軍略、文化、芸術など様々な分野で革新的な思考で時代を切り開いた英傑。
信長公が朱印に用いた天下布武とは武を持って天下を平定するという意味ではなく、武の七徳をもって天下の静謐を図ることでした。
武の七徳とは禁暴(暴力の無い穏やかな世の中を目指す)、治兵(争いの無い太平の世を目指す)、保大(誰もが誇れる誉れ大きな世を目指す)、定功(鉱石や努力が称えられる世を目指す)、安民(心から安らげる世を目指す)、和衆(仲睦まじく誰もが和める世を目指す)、豊財(誰もが実り豊かな世を目指す)でした。革命的な思考と正しきしきたりや信仰を重んじる余り戦国の世を苛烈に駆け抜け、道半ばで倒れた信長公。その人気は今なお衰えることを知りません。
■歴史研究家 歯黒猛夫がひも解く、三面大黒尊天像と信長公
「三面大黒尊天に天下布武の誓いを立てた織田信長」
織田信長は尾張を統一後、美濃を攻略。敗走した斎藤龍興を追撃し、伊勢にも侵攻している。兵を進めたのは現在の鈴鹿市や津市といった地域であり、三面大黒尊天に祈願したのは、このころだと推測できる。また、美濃平定ののち「天下布武」の朱印を用い始めていることから、戦勝だけでなく天下統一を願ったかもしれない。ただ破天荒な印象が強い信長に、神仏を敬うイメージはない。しかし信長は旧来のしきたりや信仰を重んじた武将であり、朝廷との関係も良好で、足利義昭を擁立したのも幕府の再興を目指したものだ。復興させた寺社も多く、100年近くも途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮をよみがえらせたのも信長で、このときは銭300貫文(約3億円)を献金。三面大黒天像からは、信長の意外な一面をも知ることができる。
◆略歴 歯黒猛夫
1962年生、大阪府出身。主に歴史関連の書籍を扱う編集プロダクションの代表でライター。これまでの著作は「時代小説・時代劇がよくわかる剣術・剣豪と刀」(実業之日本社)、「日本人として知っておきたい天皇と日本の歴史」「日本史 通説とウソ」「戦国時代 通説とウソ」「江戸時代 通説とウソ」ほか「通説とウソ」シリーズ(いずれも彩図社)など多数。
織田信長公祈願「三面大黒尊天」は2サイズ(大:高さ23.5cm/中:高さ17.0cm)ご用意!
↓ ↓ ↓ ↓
※中サイズ(高さ17.0cm)はこちらから!
※当商品は8のつく日セール等の割引対象外商品です。予めご了承願います。
織田信長公祈願「三面大黒尊天」は2サイズ(大:高さ23.5cm/中:高さ17.0cm)ご用意!
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※中サイズ(高さ17.0cm)はこちらから!
開運祈願仏像 卓上仏像 織田信長公が祈願した仏像 聖徳太子作成仏像 聖徳太子建立 三重県四天王寺 塔世山四天王寺お祀り三面大黒尊天 開眼供養済み仏像
織田信長公も祈願した!聖徳太子御作と伝わる「三面大黒尊天」は3つの御利益預かる守護仏。いまその分身像が皆様の心の助けに参りました!
織田信長公が祈願した在りし日の御姿を復元!
推古天皇の勅願により、聖徳太子によって建立された塔世山四天王寺(三重県津市)には、織田信長公が祈願したと伝わる『三面大黒尊天』が所蔵されています。
寺に遺る明治時代の版木には「聖徳太子御作」と記される由緒ある像です。
本作品は四天王寺の認証を得て実像の3Dスキャンを実施し、作成された精密データを元に忠実に再現された木彫像です。
さらに所蔵寺院にて一体一体ありがたい開眼供養を賜り、その証となる開眼供養証明書と2枚の御札(姿札、御朱印)が付属します。
聖徳太子と織田信長、歴史的英傑所縁の歴史ロマン溢れる逸品。コロナ禍を強く生き抜く誓いの守護本尊として是非お祀りください。
正に威風堂々、、、
信長公の誓いに思いを馳せる迫力の大サイズとなります。(高さ23.5×幅14×奥行15cm)
※この度のこちらの仏像は全て、聖徳太子の命日11月22日に聖徳太子建立の三重県 四天王寺にて開眼供養の御祈祷を致したものとなります。
四天王寺本堂に祀られる『三面大黒尊天』の現在の御姿は、経年変化によって表面の彩色がほぼ剥落し、木肌が露出した状態です。
それでもなお、見る者の心を打つ威厳は微塵も揺らいでいません。
本作品の制作にあたり、現在の御姿をそのまま再現する案と、織田信長公が祈願したであろう往時の姿を再現するという案がありましたが、度重なる協議により在りし日の御姿を再現することになりました。
そこで、仏像彩色師が四天王寺に伝わる古い時代の御札に描かれた『三面大黒尊天』のお姿を参考に検証を重ね、威厳に満ちた往年の姿を彩色で再現いたしました。
三面大黒尊天は、強力な天部が三位一体となった合体神!
三面大黒尊天は護国豊穣の福の神=大黒天、必勝と財運の福の神=毘沙門天、福徳財宝の福の神=弁財天という単独でも強力な天部が三位一体となった、一仏礼拝によって三尊天の御利益を得るという最強の福の神です。
【福徳財宝と技芸の福の神《弁財天》】
弁財天は古代インドでサラスヴァティーと呼ばれた川を神格化した女神が、仏教伝来時に『金光明経』を通じて中国から伝わり、やがて七福神の一柱となった福の神です。水が流れるせせらぎの音から音楽の神となり、そこから広く技芸・文芸などの才能をもたらす神となりました。現在では「才」が「財」へと変わり福徳財宝を授ける福の神としても篤く信仰されています。財運の象徴とされる白蛇は弁財天の使者とされます
【五穀豊穣の福の神《大黒天》】
大黒天はインドではマハーカーラ(大いなる暗黒の意)という戦闘神でしたが、財宝をもたらす力が強大なことから次第に各地の豪商たちの信奉の対象となり、金運の神となりました。日本に伝わった際、音が「だいこく」と通じるところから五穀豊穣の神様である大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき穏やかな容貌の福の神となりました。大きな俵に乗って手に持つ姿ら五穀豊穣の神としても信仰されています。
【必勝と財運の福の神《毘沙門天》】
毘沙門天は別名 多聞天と呼ばれ、四天王の一尊として北方を守る守護神です。邪鬼を踏みつけた勇ましい姿から勝運、必勝祈願、財運の神とされ、また子宝にもご利益があることから聖徳太子、坂上田村麻呂、楠木正成などが篤く信仰しました。毘沙門天といえば上杉謙信が有名ですが、実は武田信玄もまた金色の毘沙門天像を兜の中に入れて出陣していました。このように戦国の名将も毘沙門天信仰によって多くの戦いで勝利を収めたのです。
■いまなお、絶大な人気を誇る織田信長公!
戦国時代を象徴する偉大な武将が織田信長公です。
政治、経済、軍略、文化、芸術など様々な分野で革新的な思考で時代を切り開いた英傑。
信長公が朱印に用いた天下布武とは武を持って天下を平定するという意味ではなく、武の七徳をもって天下の静謐を図ることでした。
武の七徳とは禁暴(暴力の無い穏やかな世の中を目指す)、治兵(争いの無い太平の世を目指す)、保大(誰もが誇れる誉れ大きな世を目指す)、定功(鉱石や努力が称えられる世を目指す)、安民(心から安らげる世を目指す)、和衆(仲睦まじく誰もが和める世を目指す)、豊財(誰もが実り豊かな世を目指す)でした。革命的な思考と正しきしきたりや信仰を重んじる余り戦国の世を苛烈に駆け抜け、道半ばで倒れた信長公。その人気は今なお衰えることを知りません。
■歴史研究家 歯黒猛夫がひも解く、三面大黒尊天像と信長公
「三面大黒尊天に天下布武の誓いを立てた織田信長」
織田信長は尾張を統一後、美濃を攻略。敗走した斎藤龍興を追撃し、伊勢にも侵攻している。兵を進めたのは現在の鈴鹿市や津市といった地域であり、三面大黒尊天に祈願したのは、このころだと推測できる。また、美濃平定ののち「天下布武」の朱印を用い始めていることから、戦勝だけでなく天下統一を願ったかもしれない。ただ破天荒な印象が強い信長に、神仏を敬うイメージはない。しかし信長は旧来のしきたりや信仰を重んじた武将であり、朝廷との関係も良好で、足利義昭を擁立したのも幕府の再興を目指したものだ。復興させた寺社も多く、100年近くも途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮をよみがえらせたのも信長で、このときは銭300貫文(約3億円)を献金。三面大黒天像からは、信長の意外な一面をも知ることができる。
◆略歴 歯黒猛夫
1962年生、大阪府出身。主に歴史関連の書籍を扱う編集プロダクションの代表でライター。これまでの著作は「時代小説・時代劇がよくわかる剣術・剣豪と刀」(実業之日本社)、「日本人として知っておきたい天皇と日本の歴史」「日本史 通説とウソ」「戦国時代 通説とウソ」「江戸時代 通説とウソ」ほか「通説とウソ」シリーズ(いずれも彩図社)など多数。
織田信長公祈願「三面大黒尊天」は2サイズ(大:高さ23.5cm/中:高さ17.0cm)ご用意!
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※中サイズ(高さ17.0cm)はこちらから!
※当商品は8のつく日セール等の割引対象外商品です。予めご了承願います。
織田信長公祈願「三面大黒尊天」は2サイズ(大:高さ23.5cm/中:高さ17.0cm)ご用意!
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※中サイズ(高さ17.0cm)はこちらから!
開運祈願仏像 卓上仏像 織田信長公が祈願した仏像 聖徳太子作成仏像 聖徳太子建立 三重県四天王寺 塔世山四天王寺お祀り三面大黒尊天 開眼供養済み仏像
商品仕様
仕様 | ■商品サイズ:高さ23.5×幅14×奥行15cm■重量:約765g■材質:本体/檜■仕様:木彫(古美彩色仕上げ)■セット内容:仏像本体、開眼供養証明書、姿札、御朱印、化粧箱■監修:塔世山四天王寺■開眼供養:塔世山四天王寺■製造:中国 |
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